2008年11月21日金曜日

小説家の恋

携帯が鳴る。メールだ。午後に東京から新幹線に乗ってこの駅で降りるまで、これで4度目だ。
編集の有田が彼女に対して過干渉なのは仕方のないことだ、と亮子は思う。
有田とは亮子が作家としてデビューする前からの付き合いで、もう5年になる。出会った当時、亮子が高校を卒業したばかりだったからか、今でも有田は彼女を未成年者のように扱うことがある。そしてそれは、亮子といわゆる“不倫”の間柄となった今でも変わらない。
「未成年だったら、犯罪だっつーの」と呟いてみる。
新しい本の構想を練るため、しばらく落ち着いた環境に身を置きたい。亮子の申し出に、秋の景色が見事な温泉地のホテルを手配してくれたのは、有田と有田の勤める出版社である。当初有田は同行すると言ってきかなかった。それを避けるためにわざと週中のスケジュールを指定した。4泊5日、帰りは土曜だ。最終日、有田は迎えに来るかもしれないが、とにかく最終日までは自由なはずだ。
言葉を扱う職業だけあって、有田は時々、なかなか魅力的なメールを送ってくる。それは一般の、あるいは同世代の男性には望むべくもないことだと、亮子は思っている。だから有田に恋をした。恋人が父親に変身するなんて童話は読んだことがなかったから。
ひとつため息をついて、亮子は返事を打ち始める。
「今送迎バスでホテルへ向かってます。こちらは紅葉が綺麗です。土曜まで紅葉と合宿します。きっといいアイデアを思いつくから心配しないで」

また携帯が鳴る。有田からのメールだ。
「よい合宿になりますように。 この秋は一緒にドライブへ行けなかったから、僕の分まで紅葉を堪能してきて下さい」
先刻までよりは一歩引いた感じのメールだ。でも亮子には有田の思い描く筋書きがうっすら透けて見える。
引けば亮子が寂しがると思っているのだ。紅葉を見るたびに有田を思い出させようというのだ。こうしておいて土曜の朝に車でやって来て、ドライブがてら送っていこうと言えば、亮子が飛び上がって喜ぶと思っているのだ。
「そうはいかないわよ」
チェックインを済ませると、部屋に入る前にホテルの外へ出た。絵になりそうな木々を探してしばらく歩く。おあつらえ向きの紅葉の樹を見つけると、何度か携帯のシャッターを押した。
「良かったら、撮りましょうか?」
振り向くと肩にナップザックをひっかけた、感じの良い青年が立っていた。年は亮子と同じくらいだろうか。多分撮ってもらった画像を活用することはないだろうと思いながら、
「わぁ、嬉しい。お願いします」とにっこり笑って携帯を渡した。

夕食後、一番写りのいい画像を選んで有田にメールした。これできっと、有田は亮子をいじらしく思うだろう。亮子は亮子で、さっぱりとした気分で仕事に集中できるというものだ。
「さて、と。取材、取材」
ひとつ呟くと、亮子は部屋を出てホテルのバーへ向かった。カウンターの奥に目的の人物を見つけて手を振る。写真を撮ってくれた青年が、小さく手を振り返した。

2008年11月12日水曜日

彫刻家の恋

彼女は街で評判の彫刻家、そして街一番の美人だ。
街中の皆が彼女を知っている。その職業も、美貌も。生み出してきた数々の作品も。彫刻に費やすのと同じくらいの時間を、男たちを口説くために使っているということも。
彼女の日々の楽しみは、行きつけのバールで過ごす夕食後のひと時。一杯のポルト酒や赤ワインを手に、明日の作業の工程や、次の作品に思いをめぐらす。そして、新たな作品の素材を探す。
「ねぇ、あなた。あなたの額、とても綺麗な形ね」
「あなたの鼻は完璧だわ」
バールではよくそんな風に、彼女は“素材”に声をかける。大抵の場合、彼女は独りで来て、アトリエへ帰る時には連れがいるのだ。
時に彼女は、“美”を持つ者を求めて街を彷徨う。そしてある時は公園の片隅で、またある時は芝居小屋の入口で、男たちをアトリエへと誘う。その現場を見た他の男たちは、嫉妬と羨望の混じった口調で彼女の“狩り”の様子を吹聴するのだった。
実際、彼女に抗う者はほとんど無かった。いったい誰が抗うだろう、こんな美しい“美の選定者”からお墨付きをもらえるのに? ……たとえそれが“ほんの一部の自分”に関してなのだとしても。あまりに細かく“素材”を選別するので、いつしか街の人々は彼女についてこう噂するようになった。
「彼女は、理想の恋人を彫り出そうとしているのさ……」
「彼女の眼にかなう現実の男なんていない。
 彼女は生まれる前に、天使ミカエルに恋をしてしまったのさ」

ある日、バールの主人はいつものように彼女を店に迎え入れた。すると珍しいことに彼女に連れがいた。小太りの、朴訥そうな、少々垢抜けない男だ。 注文をとろうとして、
「ええと、こちらは……?」 と声をかけると、
なんと彼女が薔薇色に頬を染めた。
「教会で出会ったの。私達、結婚するつもりよ」
連れの男は黙ったまま、彼女を見てにこにこと頷いている。
「そりゃまた、一体どこが良くて……?」
思わず口をついて出た疑問を主人が慌てて飲み込むのと、ほぼ同時に彼女が言った。
「彼の歌声は、この世のものとは思えないくらい美しいのよ!」

2008年11月5日水曜日

「ぽっかりの休日」

誰のためでもなく自分独りのためただそこにある二十四時間

マニキュアと化粧を取れば無防備なただの私が顔を現す

大きめのシャツにたっぷり包まれて因幡の兎を思い出しけり

水切りをしてガーベラのしかりともたげた首に心うたれる

超協力電気掃除機この我のなかのヘドロも吸ってくれぬか

「このまんまどこかへ行ってしまおうか」揺れる吊り革 私の心

ぽっかりと空いた心を埋めるため読み返しおり俊太郎の詩

                      (学生時代の歌集から)  

2008年11月4日火曜日

【初投稿】すみません、別宅です。

頭に浮かんだお話の種や、大切な人たちから贈られた素敵な言葉。
それらを書き留めておくためのノートが1冊欲しいと思っていた、2008年秋。

宝物を記憶のどこかにしまいこんで、
いつか忘れてしまうことが怖くなった、2008年秋。

そしてたぶん、
雑文を書き散らす習性からは一生逃れられないと悟った、2008年秋。

永年つづってきた別ブログは、
特定の分野と日々の暮らしにぴたりと沿うようになって、その中でフィクションの原種苗を植え育てることが少々気恥ずかしくなってきました。
http://mifumi-wordandcolor.air-nifty.com/saijiki/

そんなわけで別宅です。
居心地の良い書斎、 あるいはお気に入りの温室。。。
そんな空間に、ゆっくりと育ててゆければと思います。

                          2008年秋、文化の日の翌朝に